カイロプラクティックさかいニュース
『琵琶湖の湖面のように』
私がカイロの道に進んで今年で22年目になります。幼少期の頃よりずっと好きな柔道を続け、気づいたらいつも柔道着を着て正座をして、練習前と後には必ず『黙想』という心を静める時間をとっていた習慣が身についておりました。呼吸をしながら丹田(おへその下あたり)に気を静めながら、『無』になる訓練を自然としていたように思います。この生活を幼稚園から大学4年生まで20年間ほぼ毎日しており、この『心を静める時間』、『心を見つめる時間』こそ、今思えば私にとってとても大切な時間になっておりました。
柔道には階級別があり、私の場合2週間でいつも7キロくらいの減量をして試合に臨んでいました。しかし、大学2年生の頃より、腰の2箇所の椎間板ヘルニアが悪化して、非常に困っていた頃、日本で唯一6年制のカイロの学校(日本カイロプラクティックアカデミー)の理事長に出会い、3カ月半の献身的な治療の後、見事完治いたしました。この私自身の体験により、大学卒業後、約半年間誰にも相談せずに、毎朝自分の心を徹底的に見つめながら『本当にやりたい道はどちらだろうか』と自分自身に問うておりました。その結果、家業の総合デパートの跡を継ぐことを辞め、両親と真剣に話し合い、6年間のカイロの学校に通い、アカデミーの理事長のもとで6年間アシスタントをさせて頂くという大きな決断をしました。
当時理事長は、アカデミーだけではなく、日本のすべてのカイロの団体の会長も務めており、全国のカイロの先生方で理事長のことを知らない方は、誰もいませんでした。当時の生活は、朝7時半に出勤して夜は11時頃に帰宅して、それから眠い目をこすりながら1日2時間のカリキュラムを夜中まで毎日勉強するという生活を繰り返していました。毎週金曜日には夜中3時頃まで勉強会があり、翌日の土曜日は朝7時半には出勤し、日曜日には1日講義で新幹線で大阪まで行くという日々を約6年間やり抜いてきました。このときの私の心の底には、少しでも困っている患者さんの将来助けになれれば!という思いが常にあったのを印象的に覚えております。
今現在、1日50〜60人近くの患者様が全国から来院されておりますが、私のモットーとして、『何があっても心までは揺らすまい。琵琶湖の湖面のようにいつも穏やかな心境になれるように』と自分自身心掛けています。こうすることにより心の安定はもとより、正しい方向でいつも自己点検ができ、さらに大きな力が発揮できるようになると感じております。患者様の皆様には、当院の治療に来ていただいているときだけでも『少しでも心と体を休めていただきたい』と思っております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。