カイロプラクティックさかいニュース
『カイロプラクティックの醍醐味』
私が医療の世界に飛び込んで、早14年が経ちました。幼い頃より柔道をしていた私は大学2年生のときに、腰椎2ヶ所の椎間板ヘルニアと試合にでるためのハードな減量による極度の副腎機能低下症状により、試合どころか毎日の生活すらままならぬ時期が2年間ありました。国立病院、スポーツ医科学研究所その他、あらゆる病院や治療院に行きました。そして途方に暮れていたあるときに、現在の日本カイロプラクティックアカデミーの理事長に出会いました。そこで、3ヶ月半、はじめは、ほぼ毎日のように治療院に連れていってもらい治療してもらうと同時に、家では両親の協力のもと、徹底的に食事の管理を行ってきました。
すると、1ヶ月半が過ぎたとき、自分の力で起き上がることが出来るようになりました。そして、院長が必死になって治療をして下さっている姿を目にして『自分の力でも何とか頑張ろう!』という気持ちが生まれてきました。それからは全ての事が変わってみえはじめました。 毎日、当たり前だと思っていた『両親に対しても感謝の気持ち』が芽生えたことや、『食事に対しても、食べれるだけでもありがたい!』と涙を流しながら食べたこともありました。あれから20年が過ぎようとしていますが、ほとんど一度も腰が痛いと感じたことはありません。
私の治療の原点は、私と同じように本当に困っている患者さんたちを一人でも多く救ってあげることにあります。整形外科や救急医療は、すばらしく発展してきました。しかし、中間の医療といいますか、手術する前の状態の患者さんたちを診るところが、今の日本では、本当に少ないというか弱いように感じます。
われわれは、病院の先生たちよりも努力し、さらに勉強していく必要があると思います。カイロプラクティックの発祥の地であるアメリカでは、6年制の大学がいくつもあり、国家試験に合格するとDC(ドクターオブカイロ)の称号が与えられ、レントゲンやMRIなどの撮影や診断権も与えられ、病院の先生たちと連携して患者さんの治療にあたっています。オリンピックの選手たちの治療やケアにも、カイロプラクティックの先生たちが活躍しているとも聞いています。日本でも少しでも早くこの状況に近づけていきたいと思っています。
私にできることは、よりよいアシスタントを数多く輩出し、社会や地域の患者さんたちの、少しでもお役に立てる人間に育て上げていくことだと思っています。同時にこのすばらしいカイロプラクティックの技術や考え方を日本のなかに広め、医療の世界のなかにも広がっていくとよいと思っております。これからも一生懸命頑張っていきますので、皆様どうぞよろしくお願いいたします。